マイクの退院は明朝


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留学の手続きが養子扱いに

養父と祖父の奮闘

健太の留学について、複雑な手続きと語学の研修などが、意外な形で落ち着いた。国籍や、戸籍の問題がネックになって、養父はカルルスと札幌を何度も往復していた。札幌に再就職したが、フルタイムの勤務ではないので都合よく時間が作れた。

此処からは、健太が学校にいっている間に、決まっていたことです。

養父と祖父は、道庁に勤める友人のアドバイスと裁判所の先輩から得た情報を検討し、マイクに面会した。マイクは明日転院することが決まり健太の留学手続きが気になって居たが、そこへ2人が顔を出してくれたので、ホッとした顔で、
「有難うございます」とあいさつした。

(ひがんばな)

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2人は、何も話してないのに、有難うと言われ驚いた

マイクさん、まだ何も話していませんよ

「いやあ~入院が長引いてしまい、健太君の手続きが進まなく気を揉んでいたんです。ご心配を掛けましたが、一旦千歳に移動して頂き、5か月くらい千歳のキャンプで語学や歴史を研修してから、アメリカに渡って頂こうと考えて居ます。アメリカに行ってから、一から始めた方が良いと言う人も居るようですが、予めストーリーに沿った学習があれば苦労の度合いが違うらしいのです」

「そんなことが出来るのですか?アメリカ人でもないのに、キャンプに住めないでしょう?」養父が不安そうに聞いた。
「いあ~それは大丈夫です、私の養子として登録すれば、問題なくいろいろなことが簡単に処理出来そうなのです、ただ皆さんがそれを望まなければ、難しくなりますが・・・」とマイクが言葉を切った

「養子ですか?そんな手が有ったとはね~」と、養父が感心した。
「日本側で、手続きをする場合役所関係、例えば国籍や教育の話で、法務省や文部省の出先機関に何度も、出かけることになるそうですが、アメリカの申請書が出るとすこぶる早く処理が進むようです」と、マイクが今まで想定外の方法があるようだ。

「お父さんにも話したのですね、養子か?ケンタ・サタケになるのか?」と祖父が。
「なあ~るほど、その理屈はよく分かりますね~私もそんな官庁に居ましたからね・・・」と、養父が納得した顔で頷く。
「実は、本国の父からもアドバイスを貰いましたし、部隊にも韓国の孤児を養子にした事例があるそうです、父もすごく喜んでくれていますが、手続きの簡素化を図るためなので、名前に拘ることはないと思いますよ」と、マイクは拘りがないようだ。祖父が、
「これからの進め方は、どうしますかね?」

「健太君の卒業のころに、私がカルルスに来ますが、その前に健太君が登別の中学校に進学しないことを、登別の役場に届けて置いていただけば好都合ですが、私は、1月か2月頃には退院して部隊に戻るでしょうが、それまでに必要な書類をこちらにお送りします」

「必要なところを記入して日本の役所に提出するのと、部隊の私のところに送り返して頂くのがあると思います」と、GHQの友人からのアドバイスを元に、ストリーを組み立てて居た。「そうか、明日は転院か、明日は室蘭に出るので見送りに来れないが、マイクさんも早く回復して下さい、日本人以上のアメリカ人と親類縁者になるとは、全くの奇跡に近い」と、養父。
「日本人として、これほど恵まれた小学生は少ないだろうなあ~」と、祖父が。

「私も、自分の生涯は峠を飛んだ時に終わったわけで、今ここにいるのは健太君から借りて居るような人生ですから、何でもできるような気がするんですよ」と、マイクは、全然気負う事もなく淡々としていた。

「それじゃ、明日見送りに来ます、8時ごろだそうですね」と祖父が
「はい!忙しい時に、何度も、何度も時間を割いていただき、申し訳ありません」と、ベットから立ち上がって、頭を下げた。

健太は、留学に関連した手続きは大人に任せ

分校にマイクの見送りに行くことを連絡した

マイクの退院の見送りのため休むことを、連絡のため職員室に顔を出した。分校なので全校生徒を数えても18名、先生が4名のこじんまりしている。今日は、本校から校長先生が来る日だった。職員室に行くと、若い先生が
「おっ、桧原だ、噂だとアメリカに行くと言う話だが、本当か?」と、うらやましそうな顔で寄って来た。
「まだ、はっきりしていませんので、分かりません、決まったらお父さんが学校に来るそうです、あした、マイクさんが退院するので見送りゆくので、休まして下さい」
「その~マイクさんは、分校の裏の和田先生の別荘で、治療して居たんだってな」と、先生は矢継ぎ早に聞いてくる。

「ぼくも、一緒にいたのですがアメリカの兵隊の規則で、あの時は誰にも話せないのでみんなに迷惑を掛けました、どうもすみませんでした」と、頭を下げた。

そこへ校長先生も加わり、
「桧原君の活躍は、今はカルルス分校と登別近辺しか知られていないが、その内日本中にファンが出来るだろう、その頃はアメリカに居るかもな!」と、肩に手をかけ、すこし寂しそうな顔をした。

翌日、始発のバスで和田先生と祖父の3人で病院駆け付けた。
まだ病院は開いていないが、アメリカ軍の十字マークの付いた車と、ジープが2台並んでいた。入り口は半分だけ開いていてた。
ロビーには、マイクが新しい制服を着てK軍曹と話し込んでいた。

和田先生と3人で側に行くと、K軍曹に支えてもらいながら、
「有難うございます、健太君が卒業するころには、もっと回復しているでしょうから、自分で運転してカルルスに来ます、本当にありがとうございました」と、次々に握手して、ホッとした顔になった。

「マイクさん、院長先生がお出でになりました、お願いします」と、松浦さんとK軍曹が介添えしながら表にでた。

病院マークの車が、静かに寄ってきて正面で止まった。
その脇に立ち止ったマイクは、静かに回れ右をして見送りの人たちにかるく頭を下げた。
「マイクさん、退院おめでとうございます」と、松浦さんが花束を渡すと、一斉に拍手が湧き上がり

院長が、

「マイク少尉、おめでとう 完治じゃないので、リハビリに十分時間を掛けてください」と、挨拶。

マイクが花束を抱えなおして
「みなさん、いろいろとお世話になりました、このご恩は一生忘れません、有難うございました」と、頭を下げた。

和田先生が
「マイク、冬の間は室蘭に戻るので、カルルスに来たときは足を延ばして寄ってください」
「はいわかりました、これで失礼します」と、姿勢を正した。

K軍曹が、
「salute」(サルーッ)と、敬礼すると、迎えに来ていたアメリカ兵が一斉に敬礼して、マイクがK軍曹の手を借りながら、乗り込んだ。MPのジープがエンジンをかけ、軽くクラクションを鳴らして動きだし、マイクの車を真ん中に後ろにも、MPのジープが付いた。

マイクは、顔を覗かせ手を振りながら、片手で目頭を押さえ半泣きのような笑顔を見せた。見送りの皆は拍手しながら

「頑張って~」とか
「元気でね~」とか、声を掛けた。松浦さんも目頭を押さえながら、片手を一生懸命振っている。
K軍曹も、マイクの肩に手を回しながら、下を向いている。泣いているのだろう・・・

健太も、涙がにじんでマイクの顔が、ぼやけてしまった。

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