健太の留学話決定!

健太の留学

転院が決まり、少し寂しい空気が~

マイクが深刻な顔で切り出した

マイクの治療は、カルルスに戻らず国立病院で続けることになった。原生林から救出作業にかかわったカルルスの人たちにとって、少し寂しい気持ちもあるが本格的な設備の整った大病院で一安心。健太は、週に2~3回は見舞いに行く。
マイクにとって、健太は実の弟のような存在で、気持ちが通じる。個室で電話も付いているので、千歳の舞台やロチェスターの両親とも話している様だ。

大腿部のギブスも外され、リハビリに汗を流しているが内臓の打撲部分に不安が残るようだ。医師の判断と部隊の要望で、一旦千歳に戻り事務系の職務で体調を整える話が進んでいた。
健太も桧原の両親と祖父も同行して、挨拶に行った。偶然、和田先生も所用?で居合わせ病室の隣の応接室で面会した。

院長と、副院長も同席し匿名入院は解消し、本名のマイクなったことを院長が紹介し、マイクが、皆さまのご厚意によって生きて帰ることが出来ます。この御恩は一生の宝です。有難うございました。深々と頭を下げ、お礼をして散会した。マイクは、病院関係者が対七した後で、


【真っ赤な太陽サンパラソル】

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村

カルルスの皆さんに

大事なご相談があります

と切りだした。結構下調べした様で、この縁が切れないように、健太を成人するまで自分の故郷に留学させたいという話だった。みんなはびっくり仰天、あいた口が塞がらない状態で、顔をみ合わせた。桧原の両親が一番の驚きで、養母は泣き顔になって話もできず、養父は、養子だが長男として期待しているようだが、渋い顔は変らない。
一番落ち付いているのが、祖父の谷沢千治だ。声は出さないがウンウンと言った感じで頷いている。和田先生は第三者だが、事前に話を聞いて居たらしく、健太の顔をみながら笑みを浮かべている。

そのあと、1時間位話し合いが続いた。マイクの計画では事前に相談すべきだが、ことが重大なので受け入れ態勢を整えてから、打ち明けることにしていたらしい。小学校を卒業後、千歳のマイクの所属する陸軍の部隊本部で半年くらい、英語を中心にカリキュラムを受けて、秋の新学期迄に渡航する計画のようだ。健太も気持ちを聞かれたが、登別から先は遠足で行った室蘭や洞爺湖位で、祖父の外国の雑誌や話で聞いた程度の知識だ。それでも「yesかno 」と言われれば、行ってみたい気持ちが大きい。

その日は、結論が出ずマイクが登別を離れる前に、もう一度話し合う事になった。桧原家は大騒ぎだ、未だ幼い健太を手放すのは佐伯のご両親に申し訳ないとか、高校を出るころまで待てないかとか、その中で、祖父は同じペースで余計なことは話さず、淡々とした態度だった。桧原さんが気になって谷沢さんの本当の気持ちはどうですか?と聞いた。

祖父は、自分はやはり同じ年頃に、室蘭から船乗りになり結果的には、ここでの苦労より何十倍の苦労でしょうが、生きて帰ったのですから答えとしては、OKだったのでしょう。
ただし現在は、桧原さんの好意で恵まれた環境で育てられている健太が、踏み出すのは本人の意思だけでしょう。

桧原の養父は、う~んと唸り
「千治さんは大人だ~」と、全面的に了諾した。
桧原の養父は柔道を通じて、健太が身体的にも、知識・常識も通常の6年生を遥かに超えていることを認めている。マイクの条件が悪いものではなく、気持ちが傾きつつあった。そのことを養母に伝え賛意を得た。その足で、健太と祖父と3人で、和田先生の診療所に顔を出した。

予め話があったようで、確認の意味もあり聞いてみた。和田先生は、マイクから2度ほど相談を受け、わかる範囲でカルルスの事情を伝え、この話には海外留学と言う難しいハードルがあるが、頗るいい条件だから進めてほしいと思っていた。渡航前の事前研修が約半年、衣食住がマイクの実家などこれ以上の条件は無いと言い切った。この言葉で、3人も納得、先生にお礼を言って帰った。

マイクから留学の話を聞き、その話をした時の桧原さん夫妻の驚愕振りは、養子になって初めて危機感があった。お世話になって6~7年の間、何一つ不自由も感じず実子の様に育ててくれた養父母の桧原さんに、精神的にも大変な負担をかけてしまったようだ。今回この家を離れる話が、如何に重大なことだったのか、祖父と健司の話だけでなく、桧原家の皆にも大きな問題になった。

健太が学校で悩んでいたころ、和田先生が間に入ってくれたお蔭で、桧原家の決断が早めに調整していたのだった。

和田先生は散歩に温泉街に来た

桧原家の前を通った

桧原さんが、知り合いと立ち話をしていたが
「先生、昨夜は忙しい時間を割いていただき有難うございました」
「いや~、難しい話で申し訳ないですな~桧原さんはいま時間ありますか?」と。
「はい大丈夫です、家に寄って頂きますか?」と、養父が誘ってきた。
「じゃ、お邪魔しますか」と、今立ち話していた知人に、
「じゃ失礼します」と会釈しながら、2人で肩を並べて湯元の桧原家の方に歩き出した。

「いろいろ考えてみると、健太はこれが絶好のチャンスかもしれないですね・・・」と、静かに話す。
「大人のエゴを押し付けず、こんなチャンスは滅多にない事でしょうね」と、養父が言いだし
「桧原さん、気づいてくれましたか」と、和田先生がほっとした顔になった。
「昨夜は、家族を含めてみんながエキサイトしました、今朝、健太と稽古しながら、今回の話はこの子の人生を左右する重大プレゼントで、自由にしてあげるのも大人の責任だと気づきました」
「そこなんですよ、桧原さんも辛い判断でしょうが、お家族には話したのです?」
「いや~まだ決定はして居ませんが、どう切り出したらいいのか・・・」

桧原さんが奥に声をかけお茶を頼んで、玄関脇の事務所で腰を下ろした。
「あらっ、先生でしたの昨夜はお忙しいところありがとうございました」と、あいさつしながら、
「何か~変わったことが出来ましたか?」
「いや~天気がいいから散歩に出たら、自然にこちらの方に来てしまいました。昨夜は急な話を持ち込んで驚かしてしまいました」

「昨夜は、みんなで勝手なことを言いだし済みませんでした。この人は、どう考えて居るか、話していませんが、健太の将来を私たちが決めるのはおかしいのよね・・・」
「なあんだ、お前も考えが変わったたんだ、今先生と話しながら歩いて来たんだが、全く同じように思うんだ」と、桧原さんは笑顔になった。
「私が、わざわざ顔を出さなくても良かったようですね」と、和田先生も本絵を言い出し
「なあんだ、先生もこのために散歩に出たのですか~」
「いや~、その後の進め方をどうしたら良いのか、気になってねえ~」
「先生が来ていただいたお蔭ですよ、2人でいたら話辛かったような気がしますね」

「良かった、良かった後は千治さんと健太君にも確認して、マイクにも安心して貰えるなあ」
「都合のいい時に、もう一度奥さんもマイクに会って、直接話を聞いて見ますか?」
「それじゃ、健太が下校後にみんなで行きますか?」

「そうですね、授業が午前で終わる日を聞いて決めましょうか」と、話はとんとん拍子で決まり、和田先生も安堵した顔で立ち上がる。
「今日は、実り多い一日だった、ご馳走様でした」と、笑顔で歩き出した。こんな風に話が進んだことは、全然知らなかったが先生が病院の帰りに話してくれた。温泉街の皆さんが、我がことの様に真剣に取り組んで頂き、6年生の健太にとって感謝・感激の日々だ。