6年生が記者発表会でレポータ

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自分が這えば運べるぞ!

瀕死の大人を背に乗せた

「自分の背中にのせれば、上手くゆきそうだ。直ぐ話しかけました(兵隊さん、僕の背中に乗ってください、近くに小屋があります)と、話しかけたが、兵隊さんは気力がないのか、目をつむって反応がありませんでした。なんとかあの崖下の小屋まで運ぼうと、体を揺すって繰り返し話しかけました」

「額に手が触れると、熱くて先ほど青かった顔色が赤くなっていました、熱でうなされ意識がモウロウとしているようでした。話しても無駄なので、兵隊さんの脇に体を寄せながら、自分の体を下に入れ両腕を自分の肩から前にぶら下げ、這い出しました。折れたような左足を竹に引っ掛けたとき、「ウッツ」と声を出したので気付いたようでした。まだ5-6メートルしか進んでいません」

「僕は、痛んだ足をまた痛めたのかと、気になりましたが兵隊さんは、片手で腰のバックを探っていたが、(これを使ってください)と皮の手袋を出した。僕の両手から、血が流れていることに気づいたようでした。はめてみるとぶかぶかで物はつかめませんが、地面をあるくには丁度いい感じでした」
「兵隊さんが意識が戻り協力的なので、さっきより軽くなったような気がしました。また歩き始めましたが、誰かに見られている気配を感じ、上を見上げると祖父が怖い顔で、見下ろしていました」と、言葉を切った。


(河畔のさくら)

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祖父と選手交代

祖父の話術は流れるように滑らかだ

健太が、司会の佐々木部長の方を見ると、ちょっとうなずき
「はいっ、この続きはお祖父さんの谷沢千治さんにお願いしましょうか」
祖父に代り、健太は頭をゆっくり下げ礼をする。記者席は関係者席から拍手があった。
座って慌てて、残りの水を飲んだ。

「夕方出先から戻り、桧原さんから孫の帰りが遅いことを聞き、きっと山小屋だろうと思いましたが、帰りは必ず明るいうちに戻ることを条件に、一人歩きを許していました」
「兎に角、急いで小屋近くまで来ますと、何かぼそぼそ話しながら何かを引きずっているようでした。近づいて驚きました。大きな軍人さんを背中にのせて這っているのが、孫でした」
「状況が分かったので、直ぐ交代して私が背負い小屋に収容、小川から水を汲んで、打撲部分を冷やし、切創部分は伝来の傷薬を塗り、左足の骨折は脛骨が折れ、腓骨は折れていないので、添え木を削っているうちに、夜が明け始めました」
「常備の、缶詰や干柿で腹を満たし、マイクさんに質問しましたが、記憶が切れているようで私は誰ですか?(私があなたはアメリカの陸軍少尉だと思いますよ)と言うと、私は兵隊ですかと私たちに聞いていました」

「私は、このままでは症状が悪くなるようなので、和田先生の診療所に相談に行きました。直ぐは運び出せない場所なので、手伝いを探しますので、応急の薬をいただき、白老の知り合いに出かけました」
「その日は、岩井屋さんで食事の出前を作っていただき、アイヌの若い人たちの応援で、和田先生の別荘診療所に収容、処置していただきました」
「この続きは、和田先生にお願いします」と、佐々木さんをみると直ぐ引き取って
「では、カルルス整形外科院長の和田先生に続きをお願いします」と、和田先生を紹介した。

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和田先生の話が続く

私は、医師ですが隠居の身です

夏の間だけカルルスの「たちばな湖」の山荘に隠居している身ですが、先日の夜中、谷沢さんがけが人がいるので処置してくれと頼まれました」
「なんでこんな夜中に何所にいるんだ患者は?と聞くと、先生はとても行けないので運んでくるから、応急の薬を頼むと言われた」
「なんか難しそうだが、信頼できる友人の頼みなので、痛み止めや傷の治療用品など取りまとめて渡しました。翌晩担ぎ込まれた患者がマイクさんでした」
「患者の応急処置は、医療関係者に見せたいくらいの完璧な処置で、特に患部に負担を掛けない添木は見事でした、私はは何もせずに本院に橋渡しをしただけです」

佐々木部長が、事故の流れが明らかになったので、一呼吸入れた。
「和田先生有難うございます。これで今回の事故の結末までが、公表されたわけですが、何かご質問はありますか」と、見回すと全国紙の札幌支社の記者が、
「被害者と言うか、怪我人がアメリカの将校なのに、軍の関係者がいないのはなぜです」

「はいっ、実は、制服では目立ちすぎるので、私服を借りてお出でのお二人を、ご紹介します」
佐々木部長が、英語で呼びかけると一番後ろの席で2人の外人が立ち上がり、自己紹介をした。一人が座り、もう一人が
「今回は、演習の事故に民間の皆さんを巻き込み、大変申し訳ありません、聞くところによると、ご自分も生死に関わるような極限の状況で、救助作業を進めて頂き本当にありがとうございます」

佐々木部長が、自分のメモを見ながら通訳した。
「本来なら、部隊本部の責任者がお礼に伺う予定でしたが、昨夜東京に呼ばれて代理で私、ジム・カーソンが出席しました,司令部付のウエル・リチャード大佐が、こちらとお約束してあるので、東京の用事が、落ち着いたら必ず伺う事を伝えるように、言われました。みなさん、本当にありがとうございます」と、頭を下げる礼をした。
それを、佐々木さんが通訳して会場に伝えた。

マイクの日本語に関心が多い

健太の身体の大きさむ話題に

佐々木部長が、後一つか二つお受けしたいと思います。
手を挙げたのは、地方紙の記者で
「マイクさんは、私たちより上手な日本語を話すのですが、日本で育ったのですか?」
マイクが、手を挙げ
「私は日系三世で、祖父母も同じ屋敷で暮らしていますので、家では日本語、一歩外に出た場合は英語と使い分けていました。弟もいますが同じように、日本語は不自由なく話せます」
「じゃ、もう一件で終わりにします」

やはり地元紙の記者から、
「桧原健太君は、12歳で6年生と紹介されましたが、私の息子は中学3年ですが、健太君より貧弱で話すことも幼稚です、何かコメントはありませんか?」
佐々木部長は、にやにゃ笑いながら、うなずいて健太を指し

「健太くんどうぞ」
「特別何もありませんが、学校でも対抗試合などで、よく言われます。家系かも知れませんが、父も大きな人で、お祖父さんもこんなに大きな人ですから。僕は6歳ごろから桧原道場で、柔道の稽古をつけて頂いています」と、軽く礼をした。
会場では、軽く拍手がおこり、

佐々木部長が
「はいっ、これでマイク・サタケ少尉の事故から救出・入院・治療までの記者発表会を、終了します」と閉めた。

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