「オヤジの家」の機密を伝承

健太の留学

祖父と米軍幹部との交友

国内では禁忌な物品を享受

雪も少ない日曜日、祖父が「オヤジの家」に行くと言うので、健太は桧原の両親に話をし了解を得て一緒に行くことにした。来るたびに洞窟の窓代わりの穴から石や苔を外して、空気を入れ替えてきたが、やはりかび臭い感じがする。洞窟の内側の遮蔽物も取り外し、空気を通るように半日開け放して置いた。

元々、洞窟の前面は開放されていたが、周辺の岩や石を運び重ねて、部屋にしたのでとり除くと、大きな洞窟に細工したのがよく分かる。祖父は、月に2~3回は風を入れていたらしいが、今年はマイクの事件で今日まで2か月以上開けていない。健太は前から見たかった、重い箱も今日は日差しの当たるところまで、引きずり出した。祖父は、
「ここに、こんな物を置いて置くわけにはいかないのだが、終戦直後に出会った米軍の将校から、ここで必要になるかも知れないと言われ、保管しているんだよ」と、言いながら油紙に包まれたライフル銃と、散弾銃を取り出した。

銃には、グリースが塗られ新品のようだった。有名なメーカーの製品で安くはない物だという。違う箱は、それぞれの銃弾が治まっていた。終戦直後に駐留軍が、洞爺湖側からオロフレ街道を走っていた車両が転落して、4~5人のけが人を出したとき、祖父が温泉街の人たちと協力して救出し、けが人の応急処置まで手伝った事が有った。

(かえでの花)

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終戦直後の時代に心温まる交友関係

大隊長と祖父の間に利害抜きの信頼があった

その時、祖父の語学が役立ち、友好的に事が進み表沙汰にならず、お礼に来た駐留軍の将校は部隊の幹部で、祖父と友達付き合いが続いた。冬季の狩猟シーズンになると1週間くらい温泉を楽しみながら、狩猟を楽しんだが殆ど狩猟には出掛けず温泉で、祖父と話して時間をつぶしたらしい。
その交流は3年くらい続き、本国に帰還するとき特別なものがないので手元で揃うものという事で、缶詰や砂糖・ウイスキー・毛布・銃や弾薬など、当時の国内では貴重品で宝物のようなものを、ジープの後に牽引した車に載せて来たらしい。
祖父は、桧原さんの家の脇の小さな小屋の様な家を借りていたので、銃などは断ったようだが、
「キャンプ内で、購入できるのはこれくらいしかないので、是非受け取ってください」と言いながら
「この銃は、狩猟用で米国では何所でも買えるものです、この温泉街も静かで何も起きないでしょうが、用心のためにも保管して置いてください」
「Mr千治には、日本で初めてフレンドリーな付き合いが出来た人です、パールハーバーに攻撃を受けたときは、未だ士官になったばかりで「日本って卑怯な国だ」と、志願して南太平洋方面に参戦しました、戦いの最中に日本兵の捕虜になった若い兵隊の話で
「戦争が嫌いだが、国の方針だから仕方なくきたが、アメリカの装備と全然違うので、これじゃ勝てないと思った」と、素直だった。
終戦で、日本に駐留したが国内はまだアメリカを恨んでいるようで、本心で語り合う人は出来なかったが、貴方は違う」と、言われた。

祖父は自分の民族問題も赤裸々に

拘りのない誠心誠意で物事に対応する人

「私は、日本の中でも少数民族のアイヌ族で、昔から劣等感を持ちながら育ちました、小学校を終わったころに船具の問屋に就職しました。そこの推薦で船員養成所に入りオランダの貨客船の見習い船員になって、地球をぐるっと回って来ました、お蔭でオランダ語と英語が少し話せフランス語も理解できますが、上手く話せません」
「どこの国へ行っても正直に自分をさらけだせば、受け入れてくることが判りました。大佐とのお付き合いも、特別なことではなく若い兵士たちが怪我をして苦しんでいる時、皆に協力を頼んで手当をしただけですよ、大隊長ががわざわざお出でなって礼を尽くされたので、そのお人柄に感動しました」と、淡々とはなす。
「本来は、私が来ることは無いのですが、中隊長の報告で「Mr千治のお蔭でした」と言うことばに惹かれ、会って見たくなったのです、大変失礼なことですがヒグマが出る原生林の温泉街にも興味が有り、ちょうどマッチングしたんですね、私は、秋には日本を離れるのですが、もう一度ワイフを連れて来てもいいですか?」と、笑いながら

「ささやかなモノですが、収めてください」と、置いて帰った。

祖父は、置き場に困り原生林の断崖下の洞窟に、置き場を工夫して保存場所を確保した。使える品物は、竹浦の家に運んで缶詰や毛布は今も使っている、カルルスで暇なときは一人で本を読んだりコーヒーを入れて楽しんできた。
途中からケンタも参加しその秘密を共有した~本棚も全部下ろしてみて驚いた。100冊近い本があり、ほとんどが外国語だったが、日本の小説も30冊くらい混じっていた。祖父は

「日本の小説は、今は売っていない物ばかりだから、お前にも読んで欲しいので、残して置きたいがここで良いのかなあ」と、考えて居た。

缶詰類は食べて来たので少なくなったが、まだかなりの数残っていた。毛布は、4-5枚は新品のままで、袋に入っていたが開けて日光浴をした。
缶詰と毛布を、お世話になった和田先生の診療所に提供することにした。祖父も、この洞窟をどんな風に維持してゆくのか、思案中のようだ。
健太も、いつここに戻れるのか見当がつかないし、中身は誰にも言えないし・・・

祖父は、
「そのうち、桧山さんと相談して、決めようか~」
「なんか、お前がこれを必要になる気がするんだが、物騒だよなあ」と、一人で合点しながら、片付け始めた。