柔道部に入部

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郵便の出し方

投函はおかぁさん

「買い物のついでに郵便局に寄って投函してあげる、郵便料金も確認しないとね」と、言われ頼んでしまった。本来なら、経験の為に自分でやろうと思っていたが、切手のこともあり時間が掛かりそうなので、お母さんに頼んでしまった。

授業は、思っていたより分かりやすくて、マーサー・ブラウン夫人の授業がシニアのレベルで、アメリカの歴史について健太の方が詳しい部分が有ったり、周りの生徒は疑い深い顔で見る。英語も、山口 千恵子先生のお蔭で、通常の会話はほとんど問題なく通じるし、健太は千歳在住の4か月で生まれ変わったのかもしれない。

隣の席のニックは、勉強熱心でエレメンタリー(小学校)ではトップの成績で、今はケンタの側で勉強できるのがうれしくてたまらないと、言っていた。カルルスの分校しか経験が無いが、学校の授業が思ったよりスムースに馴染めた。

(サンパラソル)

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教務主任の引率

タダシお父さんも付き添い

放課後、お父さんが柔道部の入部の付き添いで、校長室に顔を出していた。
オーツ先生は事務処理があり、道場へ一緒に行き手続きをしたら戻ることになったが、
「今日はケンタ君の、初舞台を楽しみにしていたのだが、残念だよ」

「先生、初日から練習は出来ないと思いますよ」と、健太が言ったが
「そんなもんかなあ~それなら次の練習日には、絶対付いてくるぞ」と、興味津々だ
「その時は、よろしくお願いします」と、健太も少し打ち解けた雰囲気だ。
「そんな他人行儀なことを言わないでよ、僕はケンタ君のファン第1号なんだから」

「先生、僕も入部するんですよ」とニックが不満そうな顔で睨んでいる。
「そうだったなあ~ ニックはこれからの期待の星だが、ケンタ君は成長し始めた青年期で、ニックは幼稚園に入園する所だから、ニックもファン第1号に申告するよ」と笑った。

お父さんは、何も口をはさまずニコニコ笑いながら一緒に歩いている。

道場に近づくと、柔道独特の掛け声が懐かしく思いながら、時々英語が混じるのでやはりアメリカの道場だ。
玄関から、道場が直ぐ見えるので、オーツ先生とお父さんが先に靴を脱ぎ、道場の入り口に立った。道場は、来客があっても練習は止まらず、同じリズムで活発な声が聞こえる。きっと、厳しいシツケをしているのだろう~

「お~オーツ先生お待ちしていました」の声とともに、黒帯のがっしりした中年の日本人が顔をだした。
「前田先生、忙しい所へ申し訳ありませんが、ジュニアから2名の入部志望者を引率してきました、こちらが元ハイスクールの先生でしたサタケ先生です」
「タダシ サタケです。日本から留学した、ケンタ・ヒノハラの保護者として、付添いで来ました、よろしくお願いします」と日本語で挨拶した。

「ご丁寧に、柔道を担当している、前田 聡と言います。今後もよろしくお願いします」と、こちらも日本語で、頭を下げる挨拶をした。
「こちらが、ケンタ ヒノハラ君とニック リチャーズ君です」ロ、オーツ先生が紹介。
「マイネーム イズ ケンタ サタケ」
「マイネーム イズ ニック リチャーズ」と、2人で挨拶した。

初めて柔道部

部室にマイロッカー

「今日は道場を見学して、ロッカーやシャワールームなど、設備などをマネージャのケイートさんが案内してくれますから、」と、道場の方を覗くと、高校生くらいの金髪の女性が小走りに寄ってきた。
「ケイート、新入部員の2人に道場ルールや、ロッカーなどガイドしてください」と、指示
「はい 分かりました」と、柔道着を付け、白帯を結んでいる。
「オーツ先生とサタケ先生は、サイドのワッチシートにどうぞ」
「前田先生、少し事務処理が残っているので、今日は戻ります次回は時間をとってきますので、その時はケンタ君を見学します」と、オーツ先生がジュニアの校舎にもどった。

「えーと、ケンタ ヒノハラ君と、ニック リチャーズ君ですね、ロッカーに行ってみましょうか?」と、ホルダーに挟んだ紙を見ながら、ケイートさんが先に歩き出した。
ケンタは、自宅の道場が主な練習場なので、ロッカーなど持っていなかったし、試合に出ても控室でバックに入れた着替えで充分用が足りた。

鍵のかかったロッカーに、ケイートさんが名前を記入しようとして
「ケンタ君、日本式のスペルを教えて下さい」と、ペンとメモ用紙を出した。
「ニックは、OKですよ」

マイロッカーに名前

ケンタは、山口さんから教わったローマ字で、Kenta Hinoharaと書いた.
「それでは、(K Hinohara)にしましょうね」と、白いプラスチックラベルに書いて、ロッカーの扉に差し込んだ。
シャワー室や、事務室などを回って道場に戻ると
「ヒノハラ君は道着を持ってきたようですが、今日は稽古します?」と、聞いてきた。

前田先生は、ここで初めて日本流の「稽古」と言った。
「はいっ しばらく稽古をしていないので、受け身で体をほぐしたいと思いますが、許可して頂けるのでしょうか?」と聞いてみた。
「そうだったね、ヒノハラ君は基本をマスターしているから、先ず一人稽古で汗をかいてください、道場は可なりスペースがあるから適当な場所でやってください」と、道場に眼をやった。
「有難うございます、着替えます」

「ケイートさん、ロッカーを使っていいでしょうか?」
「はい、カギは先ほどロッカーの中に掛けて置きましたから自由に使ってください」
「ニックくんは、柔道着を用意しなくちゃいけないから、いまはスポーツウエアがあれば、ケンタ君の側で、ケンタ君の真似をして受け身を練習してください」と、前田先生。

そんなやり取りを眺めていた、お父さんが満足げに笑みを浮かべながらなずいて居たが誰も気づかない。

ケンタは、千歳を離れる前は、山口さんとスポーツセンターで3回稽古したが、畳の道場は、カルルスの自宅で、桧原の姉妹や養父に稽古してもらって以来だ。

健太は、生まれて初めて柔道部に入部した。6歳で桧原家に養子となり、それ以前から桧原の柔道場が遊び場だったので、柔道が子供の遊びのように馴染んできた。カルルスでも登別でも小学生ながら、道南・胆振地方の柔道大会に数多く出場し、いい成績を残してきた。

クラブや柔道部の登録がなくとも、養父だけではなく周辺で働く人や桧原の養父の知り合いが、室蘭や苫小牧から温泉に泊りがけで、柔道を楽しみに来ていた。養父が札幌から戻ってからは、その数も多く一人で受け身など稽古をしていると、いつの間にか大人の知り合いが、道場の端に正座して瞑想していることがあった。養父が不在の場合は、当然健太が引っ張りだされ、稽古を付けてもらう。小学5年生でも、中学の上級生と変わらない体格になり、大人と稽古しても見劣りしない状況で

「桧原道場の師範代だなぁ~」と、呼ばれることもあった(^^♪本格的な柔道場が少なく、温泉付きの道場は近隣にはなかったから、集客力があった???何となくカルルスの道場を思い出しながら道着を付けて、道場に一歩踏み出すと自然と身が引き締まり、静かに立ち礼をしてすり足で5歩位入った場所に正座をした。

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